平成28年度の陵水会東京支部総会は、例年通り7月の第1土曜日(今年は7月2日(土))午後5時より、「上野精養軒」にて開催されました。
支部総会概要
今年は、出席者も280名を数え、東京支部発足以来の空前の規模の総会となりました。
竹森二郎幹事長による開会宣言の後、グリークラブOBの方々による学歌斉唱と共に、会の幕が切って落とされ、支部長の小梶清司氏の挨拶に続き、ご来賓の滋賀大学学長・位田隆一様にご挨拶を戴きました。
位田学長は新しい滋賀大学のスローガンとして、『きらきら輝く滋賀大学』を掲げられ、これを構成する3本の矢としての
1.『現代社会の課題を研究し、その解決に貢献する大学づくり』
2.『文理融合型の教育・研究を進める大学づくり』
3.『地域連携やグローバル的視野を持つ学生を育成する取り組み』
の3つの観点から、今後の滋賀大学の展望について詳しいお話を戴きました。
第一部『総会』(司会:竹森二郎幹事長)では、議長に鈴木重成氏(大7回)を選出した後、議案審議に入り、平成27年度活動報告(竹森二郎幹事長)並びに収支決算報告(脇阪守事務局長)、監査報告(岡田憲治監事)、平成28年度活動方針ならびに収支予算、竹森二郎新東京支部長等の役員改正案が議案として提出され、全員一致の大きな拍手の下、全ての議案が承認されました。
また、小梶清司支部長の本部理事長就任に伴い、新支部長に就任された竹森二郎氏と新幹事長和田博之氏のお二人よりご挨拶を戴きました。
第二部(司会:大28回小杉祐司氏)の『講演』では、明治天皇の玄孫であり、作家や大学講師として大活躍されている竹田恒泰様をお招きし、『明治維新と孝明天皇』というテーマでご講演を戴きました。
教科書や書籍にはほとんど記されていない貴重な内容を、非常に分かり易くお話戴きました。竹田恒泰様の非常に興味深い話の内容と軽妙且つ絶妙なる語り口に、多くの方が釘付けとなっておりました。
また、会場内に設けられた彦根物産展の紹介と彦根でのイベントについて、彦根市産業部観光企画課課長の松宮智之様よりお話しを戴きました。
小休憩を挟んで、第三部(司会:大28回後藤世和氏)として『懇親会』が開催されました。
陵水会理事長小梶清司氏より、来賓祝辞と乾杯のご発声を戴きました。
続く新卒会員の紹介コーナーでは、平成28年卒(大64回)の10名の皆様から、其々の自己紹介と今後の抱負を語って戴きました。
歓談の時間に移り、約280名に及ぶ陵水会員で埋め尽くされた会場は更なる熱気に包まれ、写真撮影も随所で行われ、和気藹々とした活気に満ちた時間が流れてゆきました。
また、今年も剣舞と詩吟が披露されました。橋本左内作「獄中の作」が、神翆流煌弘会会長小谷野煌弘様による剣舞と、大学10回中川寿一氏の伴吟により演じられ、続いて同好会「新陵会」の皆様による大江敬香(おおえ けいこう)作「近江八景」の大合吟が、場内に響き渡りました。
その後、グリークラブOBによる琵琶湖周航の歌の斉唱、当番幹事引き継ぎのセレモニー、
ヨット部・ボート部OBによる彦根高商校歌の大合唱(エールは大28回奥田慶一氏〈ヨット部〉)が間断なく続き、会場の雰囲気が一つの纏まった大きな輪へと拡がっ
て行くと共に、総会も終局を迎えました。
本科21回卒の中辻喜蔵氏による中締めの後は、任意参加で二次会(司会:大29回緒方俊輔氏)が開催され、総会出席者の1/3強に相当する96名の陵水会員の参加の下、年次や職業を超えた大交流の場となり、こちらの場でも大いに盛り上がりを見せ、何時の間にか時計の針も22時を刻んでいました。
当日ご参加戴きました陵水会員の皆様、誠に有り難うございました。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。
小梶東京支部長兼新陵水会理事長ご挨拶(要旨)
本日はご多用の中、かってない280名を超す会員の皆様にお集まり頂き東京支部の定時総会を開催出来たことを誠に嬉しく思います。また当番幹事として本日の企画・運営全般に亘り、ご尽力頂いた第28回の卒業生の皆様や、支部役員の皆様に厚く御礼を申し上げます。
本日はご来賓として本年4月に滋賀大学学長に就任されました位田隆一様にご臨席をお願いし、皆様の関心の強い大学の近況等についてのお話しや、また作家や大学講師として活躍されておられる竹田恒泰様による講演も予定しております。会員の皆様には懇親会を含め大いに楽しみ、交流を深めて頂ければと存じます。
なお私はこれまで東京支部の幹事長および支部長として、長年お世話になってまいりましたが、去る6月初めの陵水会総会で、本部理事長に選任されましたので、本日を以って東京支部長を辞任することとなりました。
今後は理事長として立場は少し変わりますが、母校、特に来春設置予定の新学部に対する支援は勿論のこと、月一杯のコーヒー代に等しい本部年会費(3千円)を若い会員の皆さんが喜んで払ってくれるような魅力溢れる同窓会活動を展開して行ければと考えております。引き続き皆様からの暖かいご声援とご協力を宜しくお願い申し上げます。
陵水会理事長兼東京支部支部長 小梶 清司(18回)
位田学長ご挨拶(要旨)
私は1966年に京都大学法学部へ入学して以降、約30年間にわたり国際法を研究し、
1996年から現在に至るまでのおよそ20年間は、主に生命倫理とその臨床への応用に取り組んできました。また、私は昨年3月まで4年間、滋賀大学の非常勤監事として、ある意味では外から滋賀大学の教育、研究に関する業務監査を担当しておりました。内部からの滋賀大学運営は初めてであり、フレッシュな気持ちで臨みたいと考えております。この場を借りて、今後とも皆様から大学運営に対してご理解、ご協力を頂けますようお願い申し上げます。
私は学長選考のプロセスにおいて、大学運営のスローガンとして「きらきら輝く滋賀大学」を掲げました。それは、以下の三本柱からなります。
一つ目は、現代社会の課題を研究しその解決に貢献する大学作りです。先般、文部科学省が人文科学系学部の再編・廃止の方針を示し経済学部、教育学部に激震が起こりました。こうした議論の背景には、これまで大学教員が社会との関わりを持とうとしてこなかった点にも原因があったのではないかと考えております。そこで、本学教員の皆さんには問題解決、提言型の研究を展開して、社会との関係をアピールするように努めることを要請しています。
二つ目は、文理融合型の教育・研究を進める大学づくりです。これからの滋賀大学は、経済学部と教育学部をそれぞれ縦軸に、データサイエンス学部を横軸にして、逆Π(パイ)型の教育・研究を進めます。教育学部の学生も経済学部の学生もデータの理解と取扱いを会得し、データサイエンス学部の学生は、教育や経済を中心にその他の様々な領域の基礎的知識を習得することで、どの分野にでも応用のきくΓ(ガンマ)型人材育成を目指します。
三つ目は、地域連携やグローバルな視野を持つ人材を育成する取り組みです。滋賀大学は予てより地域との連携を重視してきました。今後は地域連携だけでなく、世界に飛び出せるような視野と活動範囲を持つ学生を育てていきたいと考えております。
以上が、私の滋賀大学の運営に関する方針です。
次に、今後の学部運営についてお話させて頂きます。
まず、2017年4月に新設されるわが国初のデータサイエンス学部について説明させて頂きます。データサイエンスとは、ビッグデータとも称される膨大なデータから、価値のある情報や関連性などを導き出す学問分野です。欧米等と比較し、我が国にはデータサイエンスを修めたデータサイエンティストが極めて少なく、その育成が喫緊の課題となっております。従って、新学部では①データを処理するための情報技術、②データを分析するための統計技術、③その結果を活かす価値創造スキルを教育する方針です。定員は経済学部から90名、教育学部から10名枠を移行し、100名とします。同時に、新学部設立から一期生が巣立って行くまで少なくとも4年掛かることを考慮し、既に今年度からデータサイエンス教育研究センターを設立したうえで教育、研究並びに学外との連携を開始しております。また、大学院レベルで実務家を対象にスキルアップの機会を提供するコースを設ける方向でも検討しております。
経済学部では、6学科体制から情報管理学科をデータサイエンス学部に移行し、5学科体制に変更する予定です。また今後はこの5学科の垣根を低くして、コース制を取り入れることで副専攻のような形で学生の選択の幅を広げられるような体制にして行きたいと考えております。
また最近のトピックとしましては、去る6月13日に、経済学部からは2名に学長賞を授与致しました。まず男性の1名は、留学先のフランスで見つけたラベンダー製品を日本で初めて直接輸入・販売し、在日フランス商工会議所から表彰された経験もある若手起業家です。もう1名の女性は、滋賀県女子旅プロジェクトで入賞した功績を称えたものです。
教育学部については、主に現役の教職員を対象に高度な学校経営スキル、教育技術を養って頂くことを目的に来年4月から教職大学院(高度教職実践専攻)を設置することを検討しております。現在、設置認可を申請中であり、8月末までには結果が出る予定です。
本日申し上げました通り、滋賀大学は新しい展開を迎えようとしております。陵水会の皆様には今後の滋賀大学にご期待頂くとともに、ますます激励、叱咤し、ご協力頂ければと思います。
これをもちまして、私の挨拶とさせて頂きます。
陵水会東京支部竹田恒泰氏講演録
講演日:平成28年7月2日
会場:上野精養軒
竹田恒泰氏を講師にお迎えし、幕末から明治維新にかけての歴史的背景及び孝明天皇の果たした役割を、内外の状勢変化を解説して頂きながら、登場人物としての、孝明天皇・朝廷・幕府及び諸藩の考え方や、その変化を分かりやすく講演して頂きました。
幕末から明治維新の研究は、明治維新後150年を経過しており数々の文献も発表されていますが、登場人物の考え方の変化が分かり難く、孝明天皇を中心に据えて考えることにより、明治維新がどのように成し遂げられ、孝明天皇の死によって完成したかがわかるとのことです。明治維新は、薩摩藩と長州藩を中心に成し遂げられましたが、明治時代よりその死が、暗殺ではないかと言われており、昭和20年まで孝明天皇の記録は国家の秘密とされました。明治中期に編纂された孝明天皇記が昭和42年に発表され一気に研究が進みました。
アメリカのペリー来航により、開国を迫られた徳川幕府は、日米和親条約を締結、その後日米修好通商条約を締結しました。その頃は、皇室・幕府・諸藩においても、その中でこの国難に対処するため、政治体制として、皇室と幕府が一緒になって対処する考え方(公武合体論)と、幕府でなく皇室が中心となってそれを諸藩が支えながら対処する考え方(倒幕)が、また、外交面でも、鎖国を継続する考え方(攘夷)と開国をしていく考え方が交錯していたとのことでした。幕府は、開国は避けられないとの思いで、条約の締結を行い、天皇の勅許(天皇の許可)を賜わることで諸藩の不満を抑えようとしますが、勅許は出ず、攘夷派を弾圧した中心人物である井伊直弼は暗殺されました(安政の大獄と桜田門外の変)。孝明天皇が、公武合体派を生み、また条約の勅許が出ないにもかかわらず皇室をないがしろにして条約を締結した幕府の存在により、倒幕派を生み出したとのことです。
竹田氏は、この状況を、縦軸に倒幕と公武合体、横軸に攘夷と開国にした模式図を描き、孝明天皇(攘夷・公武合体)・幕府(開国・公武合体)・長州藩(攘夷・倒幕)・薩摩藩(攘夷・公武合体)の位置を示し、下関戦争・馬関戦争の敗北により、長州藩が攘夷派から開国派に、生麦事件から薩英戦争の敗北により、薩摩藩が攘夷派から開国派に、長州征伐の失敗から、薩摩藩が公武合体から倒幕に動き、孝明天皇のみが、攘夷・公武合体としての立場を貫きとおしたことにより、開国・倒幕を主導するものたちによって暗殺されたのでないかと考えているとはなされました。
このように、「生きて国を守り、死んで国を守った」孝明天皇の研究は、実録発表後50年ほどしか経っておらず、さらに進み、みなさんが再び幕末から明治維新のお話に触れる折には楽しく接することになるでしょうと結ばれました。
(文責 大28 中野克廣)